エグゼイドが人気を博した(と言われる)要因を考えてみた
エグゼイドの人気を構成する要素
キャラ:8
テーマ:1
ストーリー:1(勢い0.9:内容0.1)
エグゼイドの魅力はキャラである。
これは白倉プロデューサーが『仮面ライダー公式アーカイブ FIGHTING TIME ジオウ×ゲイツ』にて
白倉 ゲイツが主人公を狙う未来からの使者、とは必ずしも決めてませんでしたね。
まず先に考えていたのは、『仮面ライダービルド』の戦兎と龍我。正確には『仮面ライダーエグゼイド』から大森(敬仁プロデューサー)が築き上げた、ライダー同士のコンビ設定です。人気が高かったし、観やすいのも間違いないですから。
このように言っていることからそう考えた。
エグゼイドが無駄に流行ってしまったから
大森×高橋という悪魔のコンビが
令和一作目ゼロワンで再来してしまったのである。
ゼロワンは見ての通りの体たらく、
たまたまのまぐれ当たりを信じた結果がコレ。
ゼロワンはせいぜい
テーマ:8
キャラ:1
ストーリー:1
と言ったところだろう。今のところ。
ガワの良さはキャラに含めるものとして、唯一人気のありそうだった迅も退場中*1
寧ろ、主人公である或人にも、敵の天津にもヘイトが溜まる一方である。
ストーリーに関してはもっと評価すべき所が無い。
エグゼイドにあった勢いみたいなものもお仕事茶番5番勝負で完全に消え失せた。
今は「AIを通じて近未来の仕事のありようを描く(描けるとは言ってない)」という尊大なテーマを掲げていることをAI専門家(それって美味しいの?)が褒めてるだけ。
エグゼイドの話に戻る。
エグゼイドの人気キャラと言えば檀黎斗
何故彼が人気キャラになったのかァ!
役者のお陰です。
元々はクールな悪役にするつもりだったが役者の暴走により変態キャラとなった、のは有名な話。
もう一人の人気キャラと言えば九条貴利矢。
彼はテコ入れのお陰です。
もっと言うと『超スーパーヒーロー大戦』『仮面戦隊ゴライダー』で彼のファンを繋ぎ止めた白倉Pのお陰*2*3
彼は元々復活予定は無かったが人気キャラだった為復活したというのも有名な話。
あとMのキャラクターも役者のチベスナ・アイに引っ張られてサイコじみていったものだと思う。
他のキャラクターについても触れたいところだが…特にバグスターという人工生命体の是非についてはまたの機会に語りたい。
ま、この番組の人気を牽引したのは上に挙げた2人と言っても差し支えないように思う。
だからこそトリロジーの3作目にこの2人を持ってきたのだろう。
つまり、エグゼイドの魅力はキャラクター依存で、そのキャラクターは製作が作ったものですらなく役者依存、ましてや大森は0から1を生み出すことなど何もしていないと言うことだぁぁあ‼︎ ブァーハッハッハ
しかし一方で、「檀黎斗のキャラ崩壊を乗りこなした脚本」「人気キャラ九条貴利矢を呼び戻す判断を下したプロデューサー」と言ってしまえば聞こえは良くなるだろう。
所謂「ライブ感」というやつだろうか
実際エグゼイドはカラフルなキャラ立ちと、同じ8作目というポジション、あとトリロジーが作られたからとかの理由で?「平成二期の電王」とかいう声があるみたいね。*4
“戦いはノリの良い方が勝つ“そんな電王こそ「ライブ感」の塊であったことは言うまでもなく、今でもライダーの人気作と言ったら真っ
先に上がる名前は『仮面ライダー電王』だろう。
そのジェネリック電王みたいなポテンシャルに期待をかけられて、白倉取締役が大森Pを今日までのさばらせてるのだとすれば話は通る。
しかしどうだろうか、エグゼイドの「ライブ感」については疑問が残る。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 弐 2 (特装限定版)のAmazonレビューに「ライブ感」に関するかなり的を射た意見があったので紹介させて欲しい。
ライブ感という言葉の意味をよく考えて作り直して欲しい
2017年6月17日に日本でレビュー済み
形式: Blu-ray
内容については、もう他の方々が書いて下さっているので思い切って割愛し、別の切り口から書いてみたいと思います。制作側のインタビュー等で度々登場する「ライブ感」という言葉についてです。本来は、ドラマ等の撮影中に、役者さんの演技やセリフ等が台本通りでなくても「こっちの方がいいかも?」と思われれば予定を変更して採用することがある、という意味の言葉が「ライブ感」なのだそうです。言い換えるなら、「枠にとらわれない」とか「自由な発想で」といったところでしょうか。
私の記憶にある範囲で、制作側のインタビューでこの言葉が最初に使われたのは、平成仮面ライダーシリーズで2000年代の最初の頃、多分、仮面ライダー龍騎あたりだったのではないかと思います。(※記憶を遡りながら書いていますので詳細は違っていたら済みません。)
この龍騎は、結末が複数作られて公開されたことで有名な作品です。最初に構想されていた結末は、なんと夏休み(TVシリーズの中盤あたりの時期)の劇場版で採用されて先に公開されてしまいました。キャッチは「龍騎、衝撃の結末。最終回、先行映画化」でした。では、先に最終回を公開しちゃってTV版はどうなったのかというと、白紙から構想を組み立てて全く別のストーリー&結末を作るとの発表がありました。その発表の際、制作側から「元々構想があった結末(劇場版)にとらわれず、全く新しい発想で、新しいストーリーを、そして新しい結末を描きます」のような趣旨のコメントがありました。その中で確か「ライブ感」という言葉が登場しました。先に公開された劇場版にとらわれてしまったらそれと似たようなものになってしまうのですから、それにとらわれずに作りますというのは当然といえば当然ですよね。
では結末はその2種類で済んだのかと言うと、秋にTVスペシャルというものが放送されまして。そこで、劇場版ともTV版とも異なる結末が放送されました。また、このTVスペシャルの最後の部分は2種類作られ、視聴者の投票でどちらを放送するかを決めるという前代未聞の手法が採られました。(選ばれなかった方の結末はDVDに一緒に収録されました。) その数か月後、TVシリーズが予定通り全話放送を終えました。ですので結局、劇場版、TVスペシャル版A、TVスペシャル版B、TVシリーズ版、全部で4種類の結末が描かれることになりました。そして勿論、似たような結末は一つもありませんし、そしてどの結末もたいへん面白い(intersting)ものでした。
時は流れて現代。鉄血のオルフェンズのインタビューで度々「ライブ感」という言葉が登場しますが、本来の「枠にとらわれない」「自由な発想で」というニュアンスは、作品からは全く感じ取れません。伝わってくるのは「行き当たりばったり」「何も考えていない」くらいのものです。(そう言えば、龍騎の結末の中には、バッドエンドと呼べるようなものもありますが、その結末もたいへんに壮絶で、魅力的で、素晴らしいものでした。(批判はかなりあったようですが。))
オルフェンズの映像からは、制作現場(各スタッフや声優さんらも含めて)の人間関係が酷いことになっていそうな感じがヒシヒシ伝わってくるので、もう今更無理なことだろうとは思いますが、もし叶うことならもう一度作り直して欲しいと願ってやみません。その際は、すでに放送されたTV版にとらわれないよう、ぜひ"本来の「ライブ感」"でお願いします。
『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』から生まれたスラング「瞬瞬必生」も「ライブ感」と同じような誤用をされる。
それは視聴者が勝手にメタ的な意味で使ってるだけであくまでOQ内の言及はそれぞれのライダーのことだよ!ライダー達は本当に瞬間瞬間を必死で生きてたんだよ!なんでわかってくれないんですか!(泣)
まとめ
エグゼイドが物語的に面白いとか、
ゲームと医療の融合に成功してる、
とかの妄言を直接否定するつもりはありません。*6
ただ、好きなキャラが出てきた作品だからそれが良い作品だと思い込みたいだけ、なんじゃないの?
あとから「アレは良かった」と補完してるだけ、なんじゃないの?とは思う。歴史の舗装やめちくり。
私はエグゼイドの物語は「医者と友達のウイルスが知り合いのテロリストをしばいた話」としか捉えていないので。